あの世

いだきしんさんのコンサート「高句麗伝説」に行った。ヒーリングミュージックにしては深みがあり、クラシックにしては即興性があり、ジャズにしては迫力があり、映像にも品があり、この方は天才だと思った。
音楽とはこういう自然なものが起源でもあり、また目標でもあると思う。

高句麗の王家の子孫の姫の朗読と語りが入ったが、最後に世界平和を実現するためにというとってつけたような言葉があって、やや胡散臭い感じが残ったのが残念に思う。

3歳のときから世界平和を祈り続けていたということだが、たぶん、わかってないことがあるのだろう、と本も読んでみた。そして見つけたことは、あの世がわかってないということだ。

■世界初の方法だというが、それも変だと…。今生きている人はすべて世界初の今日という一日を生きているので、間違ってはいないが、自分だけ世界初のことをしていると思っているのは変だ、と私は思う。

■自分だけが人と違っていると思うのだろうが、すべての生き物は個性があって、同じ固体は存在しない。いだきしんさんが、子供のときに死ぬひとをなぜなのだろうと考え、原因を解決するまでその悪循環が絶えることがないということに着目して多くの人に感動を与える行動をとっているとのこと。その真剣な考え方がすばらしい芸術となって人に感動を与えるのだと思う。

■ここで、なぜ生まれながらに病弱だったり短命だったりひと癖あったりするのだろう。なぜ、生涯を通して幸運な人や不運なひとがあるのだろう。なぜ…

この問題を考えつめると、過去世ということにたどりつく。
★種をまくと芽が出て花が咲き、実ができて、枯れて絶える。たいていの人はこれで人生が終わると考えている。
しかし、よく見ると種が残っていて、適当な湿度と温度にであってまた芽をふく。この種の時代があの世だ。生まれつきか細い芽の出る種子と、同じ袋に入っていたのに太くて元気な芽の出る種子がある。何が原因なのか。それは過去世が違うからだ。

★この世にいる間にいじめられて肥料も日光も不足して生き延びてやっと残った種子からはまたか細い芽が出る。あの世にいる間にはどうしてもそれを挽回することはできない。この世にいるうちに栄養と日光をたくさん得て、大きく強く育つことで、大きな種子を残し、来世は元気な芽でスタートがきれる。

■これは私の考えではなく二宮尊徳の考え。彼は一文無しでスタートしたが、先祖には裕福な人もいた。善人もいた。だから彼の考え方は性善説であり、行動には愛情があふれていて多くの人を救い、長年にわたってその思想は日本を栄えさせた。

★尊徳は仏教でなければ説いてないことがある、それが三世因縁の理だという。仏教の真髄はお題目を唱えたら極楽浄土にいけるというような非科学的なことではない。この世にいるうちに立派にならないとあの世ではなにもできないということを、そして、この世を終えたときにすべてがおじゃんになるのではないということを知ることにある。

★日本の仏教が廃れたことを残念に思う。もしこんなに廃れてなかったなら、いだきしんさんはあの世ということを知り、彼のコンサートはもっと世界平和に貢献するだろうに。この世にいるうちによいことをしておきなさい。金のために戦争をしたりしたら来世はどんな苦難に出会うか…と知ったなら、今の贅沢をつつしんで平和にくらそうとする政治家や科学者や芸術家や教育者や…も増えるのではなかろうか。

世界平和を実現するために必要なことの一つは、しっかりした哲学ではないでしょうか。